パーフェクトなアンサーを求めて…

以下、内容について触れています。
観終わったあとの感情を、喜怒哀楽で表すとするなら
「哀」
そんな印象が残りました。
明確な答えは得られなかったけど
モヤモヤが残って終わり、ということでもなく
何か大きな課題を与えられたような気持ちになりました。
ラストシーンから考えられることは
ガンツの中の人っていうのは、誰かの身代わりで
「みんなしあわせに」ということが彼の望みだとするなら
ガンツ玉に現れる文字は、中の人の意志ということ?
だとすれば、それまでの「星人を倒して100点を獲る」という指令は
スキンヘッドの人の意志だったということ?
ガンツに選ばれた人に、何か法則性はあったのか?
…というのは、前作で感じた疑問のひとつでしたが
そもそも人が生まれるということが“選ばれた”ことだとしたら
死んだあとに選ばれることも、有るということ。
つまり、法則性はなかった…ということ?
殺さなければならないことの意味。
例えば…
自分の大切な人が死んでしまって
誰かを殺せば、その大切な人を生き返らせることができるとすれば。
命の代償は命。
命を以って、命を救う。
・・・と?
いろいろ考えられることはあるけど、結論は出ません。
でも、惹きつけられるものがあることは確かで
文章や言葉では具体的に表現できない感覚のようなもの、でしょうか。
それは今、自分が忘れている記憶に問いかけられるかのような…。
そんな自分は、もしかしたら「記憶を消されて解放」されて
生まれ変わってきた人間なのかも知れません(笑)
この映画は、まだ完結していない原作とは違う終わり方だそうだけど
だとしたら、映画とは違う「答え」が
すでに用意されているということなんですかね?
知りたいです。
2011/04/30(土) | 映画 |
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原作は未読です。

地下鉄の線路上で轢かれてしまった
玄野(二宮和也)と加藤(松山ケンイチ)が
次の瞬間に居たのは、とあるマンションの一室。
そこには、同じように転送されてきた人が何人かと
黒い大きな球体、GANTZ <ガンツ> と呼ばれる物体が。
ガンツから発信される“ミッション”は
“星人”と戦わなければならないというもの。
戦い、その星人を殺すこと―
ここまでは予告で何となくわかってはいたけど
うーーーん。
色々とハードでしたねえ

最初に出てきた「ねぎ星人」。
奇妙な風貌の“子ども”・・子どもを殺すの?
…と思っていたら、それに対する固定概念が
次の、殺すシーンで打ち砕かれてしまったというか…。
ああそうか、ここが「PG-12」なわけだったんだ。
映像もすごかったけど、音が生々しかったなー( ̄∀ ̄;)
そこで星人に殺されてしまった人は、「死」のリストへ。
殺されずに戦って助かった人(戦わずに助かった人も)…は
マンションの部屋に戻されて、ガンツからの採点を受ける。
事故に遭う前の生きている世界に一時的に戻されるものの
再び、ガンツからいつ呼ばれるともわからない。
殺さなければ、殺される。
生と死のあいだで強要される戦いは
「100てん」になるまでそれが繰り返される…。
100点になった場合に選択できる“めにゅ~”は
1 記憶をけされて解放される
2 好きな人間を生き返らせる
何度か戦って死んでしまった西(本郷奏多)が
絶命前に玄野に希望していたのは自分が生き返るための「2」だけど
玄野は加藤のためにそれをするんじゃないか…と思わせる展開…
かと思いきや、何故に加藤の姿があそこにあったのか?…が謎のひとつ。
その他の謎や、気になっているところは…
・ガンツの世界に来た人たち、それぞれの死因。
それが召集されたことと関係があったのかどうか。
・星人と戦ってガンツに「死」とされた場合
元の生きている世界に戻されていたときの時間、時系列、
そこで関わっていた人たちの記憶はどうなるのか。
・“めにゅ~”の1、「解放される」というのは
「生き返る」という意味なのか
・ガンツの中の人は誰?何者?何様?
何でこんなことするの?
玄野に戦う意志が生まれたことで
前向きな気持ちで見終えたられたし
後編を早く見たい気持ちにもなっています。
納得のいく結末になりますように。
2011/02/07(月) | 映画 |
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公開初日に観に行くなんて珍しいんですけどね…
「無限に拡がる大宇宙…」から始まるナレーターは、ささきいさおさん。
アニメのヤマトは兄弟がよく見ていたなーという記憶があるんですが
私が覚えているのは、そのナレーションのセリフと
「さらばーー地球よーーー」の有名すぎる主題歌と
「地球滅亡の日まであと○日」という最後のテロップ。
登場人物は何人かは知ってるけど、ストーリーについては
実はよく知らなかったというヤマトだったのですが
そんな私が見終わって思ったことというのは…
CG技術が素晴らしかったなーというのと
実はこんな話だったんだ…という
単純ではないストーリーは
解釈の仕方によっては何かの教訓にもなるのかな、と。
人間関係の展開…
古代の沖田や雪に対する気持ち、仲間に対する思いは
もう少し時間をかけて描いてくれたほうが
わかりやすかったかも。
いい作品になってたとは思うし
面白くなかったわけじゃないし
作り手や役者さんの熱い思いも伝わってきたんだけど
何ていうのかな…“のめり込む”まではいかない
客観的な気持ちのまま?
で、そんな淡々としていた私に比べての夫の感想というのは…
「格別に良かった」
「すごく面白かった」
「熱いものがあって感動した」
…と、いたく感激した様子。
よく聞いてみれば、アニメをよく見ていたらしく
ストーリーは記憶がおぼろげなところもあるけど
だいたいこんな感じだった、すごく良かった、素晴らしかった…
と、そりゃもうベタ褒めの感想。
へええええ~そうなんだあ~。
これは、アニメを知っていた人とあまりよく知らなかった人、
思い入れのある人とない人との差なんですかねえ。
何だか原作を知らなくて損をしたかな?とさえ
思っちゃいましたよ(笑)
森雪については「あんな飲んだくれじゃない」
「暴力は振るわない」らしく
古代と森雪の関係については
「恋仲になる感じではあったけど…」
と、映画のヤマトの中の出来事について
「一部、余計なラブシーンがあった」と。
私もあれはどうかな?って感じでしたけどね(苦笑)
そして、一致した感想というのは
緒形直人さんが良かったなあ~いい味を出してきてたねーというのと
「木村拓哉の古代進がハマっていた」(夫) ということ。
ここも絶賛でしたねー。
アニメにも続編があったから、きっと映画にもあるはず!
…と夫は思っているようですが
これは夫の「願望」なんだろうなー。
映画を一緒に観に行って
感想が違うことってめずらしいことじゃないけど
何だか面白い温度差だったなーと思いました(笑)
2010/12/03(金) | 映画 |
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だいぶ前に観に行って書いといたのに
そのまんまになっちゃってました。
感想、UPしま~す。

「そなた、名は何と申す?」
キターーーーーー!!┌(*゜▽゜*)┘└(*^▽^*)┐
上様に名前を尋ねられたら、それが合図。
どんな形でくるのかと思ってたら
怒らせてしまった身代わりの勇気だったとは(笑)
それにしても祐之進(二宮和也)の隣にいた細田くんのお芝居が
わかりやすすぎて面白かった~。
このお話、“普通”の大奥だったら
どんな感情になるんだろうか?と考えながら見てたけど
男女逆転だからこそ面白いし
そこが見どころってことだったんでしょうね。
男だらけの男の園の中の男同士の禁断の?あれやこれ…
ちょっと昔なら考えもつかなかったような
こういうストーリーが生まれて、それが映像化になって
たくさんの人が観に行くっていうのは
今の時代をうつしているような気がします。
「今宵ばかりは“おのぶ”と呼ばせていただきたい…」
コウちゃんに懇願するニノの目がウルウルと潤んで
ああ~何て切ない…と思わされていたその時に
千秋様と蔵様ったら、何てあくどい悪だくみをしていたもんだか(苦笑)
その言葉で祐之進の心を察した吉宗さまっていうのも
素晴らしかったと思います(*^_^*)
ストーリー的には難しいことは何にもなくて
もっとドロドロが入り組んだ話になるかと思ってたので
とっても見やすかったですねー。
主役がいなくなるわけはないよな…と思いつつ
そこは予想通りだったけど
オチの伏線は“ケチ”だったってこと?(笑)
まあ何せ、この映画の個人的魅力だったのは
美しい男子たちを見る(?)のと
何よりもニノのお芝居を見ること。
そして、エンドロールに流れる「Dear snow」を
じっくり聞きながら、映画の余韻に浸る…と。
同じ思いを持っていた人が多かったのか
曲が流れても立ち上がろうとする気配の人が少なかったですねー。
そんな観客の一体感も味わえた映画でした。
2010/11/11(木) | 映画 |
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これから裁判にかけられるであろう祐一は
たとえ本当のことを言っても信じてもらえないのかな。
殺された佳乃のお父さんは
その真実をどんな風に聞くんだろう。
「娘はそんな子じゃない、でたらめ言うな」って怒るかな。
祐一の母親は、これからどうするのかな。
おばあちゃんは…?
そして、光代は…?
見終わったあと、ずーっとそんなことを考えてしまって
後から後から思い出し泣きしてしまいそうな感覚が残りました。
誰が「悪人」だったのか。
山中で置き去りにされたところを
助けてくれようとした祐一のせいにしようとした佳乃。
佳乃と関わった話を武勇伝にする増尾。
祐一を捨てて家を出て行った母親。
高齢者を騙して脅して健康食品を買わせる男たち。
そんな「悪く見える人」がいる中でも
人を殺して犯罪者となってしまった祐一は
世間的に「悪人」と呼ばれる人、ということ。
自首しようとしていた祐一と逃亡した光代は、悪人?…
娘を失った父親が、増尾に振り上げた手。
その手に持ったものを彼に振り下ろせば
自分が「悪人」になってしまう…。
守りたいもの。
失いたくないもの。
それぞれの日常と孤独。
孤独だった祐一と光代。
本当に、事件の前に気持ちを確かめ合えていたら
こんなことにはならなかったかも知れないのに…。
そんな、事件で日常が一変してしまった中で
変えられない日常を送らなければならない現実もあるわけで
マスコミに取り囲まれながら病院の夫の世話をしに行くおばあちゃんの姿は
ものすごくリアルでした。
バスを降りるときに運転手さんが言った言葉に泣きそうだった…。
新聞記事で見るような、とあるひとつの殺人事件。
それに関わった人、ひとりひとりの真実と理由はこうだった…
というお話の中に、「人間」の、色んなことを考えさせられる映画でした。
そして、琴線の触れる場所は、見た人それぞれの
「失いたくない」部分によって違うのかな、とも思いました。



2010/09/30(木) | 映画 |
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